2019-11-19 第200回国会 衆議院 本会議 第9号
第三次桂内閣は長州藩出身の藩閥政治であるとして国民世論の批判が高まり、明治から大正にかわって半年後の大正二年二月五日、私の地元、相模原市緑区又野で生まれた尾崎行雄代議士が、桂太郎内閣弾劾決議案の趣旨説明を行っています。この桂太郎総理に対し、「常ニ玉座ノ蔭ニ隠レテ、政敵ヲ狙撃スルガ如キ挙動ヲ執ッテ居ルノデアル、」と批判。
第三次桂内閣は長州藩出身の藩閥政治であるとして国民世論の批判が高まり、明治から大正にかわって半年後の大正二年二月五日、私の地元、相模原市緑区又野で生まれた尾崎行雄代議士が、桂太郎内閣弾劾決議案の趣旨説明を行っています。この桂太郎総理に対し、「常ニ玉座ノ蔭ニ隠レテ、政敵ヲ狙撃スルガ如キ挙動ヲ執ッテ居ルノデアル、」と批判。
あのときに、桂太郎内閣、そして小村寿太郎外相と、そして高橋是清が日銀副総裁なんですね。で、戦費の調達から始まって、そして、もちろん日英同盟をまずやる。そして、戦費の調達、また軍艦の入手、そして仲介、仲裁国のところまで考えてやっていく。そしてまた、世論のつくり方、アメリカによる世論のつくり方、そしてまたロシアにおいての、何といいますか、反政府行動等についてもいろんな工作をすると。
その当時の朝日新聞は、講和会議の主客転倒、桂太郎内閣に国民や軍隊は売られた、小村許しがたしということで、今の朝日新聞とは逆です、非常に国粋的で。外相小村寿太郎は必死で日本の国益を守ろうとした。桂太郎総理と山本権兵衛海軍大臣は、新橋駅に小村寿太郎外務大臣を迎えて、三人一緒に暴漢に倒れてもいいというのでガードして歩いたと言われております。